いわゆる「過疎バス」と呼ばれる代替バスに乗った。
山村留学センター結遊館の前から乗車できる。
すると、途中、ゆうさんのお姉さん(1931年生まれ)と往復同じバスだった。
空襲を高知で受け、大変な苦労をされてきた。木頭村に戻ってからは、泊山をしながらカジ蒸しをトコ姉などとしていたという。それはちょうど南海地震の1946年12月21日(午前4時19分)。朝、ショウロクさんが「おまえら生きとるか」と小屋に飛び込んできた。山で寝ていたので地震には全く気づかず、里に下りると石垣は崩れ、家屋にも被害が大きかったという。
先月まで軽トラを愛用していたが、免許を返して、足の痛みもあり、バスを利用するようになったそうな。学校でも聞けない貴重な話をこの「過疎バス」は運んでくれる。
こんな木頭村で子ども時代を過ごしてみないか?
詳しくは、http://yuyukan.net まで。